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ちょっとだけ遠くへ

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週末、便箋と感想ノートをカバンに、そらみつと少し遠くへ出かけてきました。
でっかい空、光りや風を感じれる生活っていいなぁ・・
考えたこともなかった農業や酪農の暮らしを想像してみました。
でも、きっと私みたいなここの気候や環境を知らないものが
土地の人たちと同じように生活を構えたら
昔からここにいる人たち、ひと言申したい気分になるだろうな~
なんて思って
自分が、今の場所にアトリエを構えたときも
同じような感情が周りに起きて、その反応を冷たく感じたのではと。
「よそ者」という差別にしか思えなかった苦い経験が
そんなことで和らいだりしました。


私は、小さい頃から「人が人をすぐ分ける」ということに
すごく敏感で、それに屈したくないという思いが強くって
ふたごだったので
似てても「なんで?」違ってても「なんで?」と問われる不思議や(笑)
お金があるとかないとか
宗教がちがうとか
どこで生まれた人だとか
子供のころから、なんでそんなことで誰かが孤独な思いをしなきゃいけないのかずっと疑問を持ってきました。
靴を見ればその人がわかるって言葉をはじめて知ったときは
ボロボロの靴や服や家が人格になんの関係があるんだ~いいかげんにしろよー笑

15歳のとき。
となり部屋に住む一人暮らしのおばあさんを、いつも大家のおじさんがいびっていて
あるとき、私は、大家にくってかかりました。
トイレの使い方についておばあさんを怒鳴りつけたのをみて、ブチッときて。
そしたら、胸ぐら掴まれて「お前が男やったら殴っとる」と持ち上げられました!
おばあさんにとってよかったのか気になりながら、私だけその後富山に越したけれど、
あとから、「あのとき久子ちゃんが、かばってくれてうれしかった。」って
おばあちゃんがユウに言ってたと聞きました。
中学生の時、次々ターゲットを変えていじめをしている子に
何もいえない周りや先生、自分自身。あれは、あってはいけないことだったという後悔があって
その後は、見ないふりをしないと自分に決めていて、
だから、相手が男だとか、社会的に偉いとか関係なく言うようになりました。
仕方がないと諦めれず、子供っぽいのかもしれません。

そんな感じで
私は、おとなしく見えて、ノーと言う&ケンカっぱやい人なんで
ここに越して来て疑われたり試すようなことされたときも、全然弱らなくて(笑)
だけど、いつまでも
いやらしいこと言う人聞いてくる人は現れました。
笑顔につけ込まれている気がしました。
財布がないと疑ってきたりする人もいました。
どんな失礼なことしてきても謝らないし、
なんだか疲れてしまって
店のカーテン開けるのがいやになったり、ゴミ出しに行くのが憂鬱だったり
思えばしんどい7年間でした。
どうしてこんな経験をしているんだろう?
ラクガキ屋の活動やお客さんたち、そらとの日々はこんなに幸せなのに、それに
水を差すようにいつまでも続くこの悩み・・(でも、以前より、全然まし!親切な人もいるし行きつけのお店も増えました)

ここに越してくる前の環境が、温かすぎたから
その温度差にもショックを受けていました。
そらとふたりで団地にいたんですけど
周りのお母さんたちといつも声かけあって
子供たちはみんな兄弟姉妹みたいで毎日笑い合っていました。
そらも、明るさ全開で
先生も友達も「そらちゃんなら大丈夫!」と見送ってくれました。

越してきて、幼稚園行き道
「おばまのみんな、そらならだいじょうぶって言ったけど、私ぜんぜんだいじょうぶじゃない。」って
小さい足が立ち止まった時は、
わたしは最低な母親だな、と思いました。
あの環境から、子供を離してしまった。

この悩みに何度か
心の中が捕らわれるとき、

するのがやっぱり
「ここへ来たから出逢えた人たち」「ここへ来たから出逢えた想い」を思い起こす作業
なんですよね。

そして、きっと、
人が人と差をつけて別けたい心理。
子供の頃からそれを追求したかった自分がずっといて
身を持って体験してきた大事な時期だったのだ。


でも、もうそろそろ次の段階へ行きたいって感じ!


つらいときは、「楽になろう」と自分で決める。
昔、友達が
言ってた言葉が、こういうとき蘇ってきます。



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